下線付きのグリーン部分をクリックすると夫々のページに移動しますので、目次から移動して楽しんで頂ければ幸いです。
小説「坂の上の雲」の教えてくれるもの
はじめに
日本人の気質(かたぎ)を求める
教育を考える
「何を教えるか」は昨年の今ごろ教育基本法改正論議が行われているのを見て、NECのBiglobeにブログを書き始めに当って書き始めた。
ブログを見て頂ければ分るが、当初新潟幼児連続殺人事件の容疑者が鬼母であることから書き起こしている。
それも仏教の三毒を切り口にその解決を探るっていた。
ブログを書き進めている内に、ミーム・社会脳という概念とも出会い、「人とはなんだ」を大幅に切替えた。
当然、はじまりも変えているし、「定朝スタンダード」も書き足した。
細かい訂正は随所に書き直しているので、Biglobe版を読まれた方は違和感を持たれた事と思う。
結果、一般の方にも随分分る内容となったものと信じる。
とうとう参議院選挙で自民党が歴史的大敗北を喫し、安倍首相は所信表明までして、代表質問前に折れてしまった。
筆者は安部首相の続投予定を支持するものだが、折れたものは仕様がない。
参議院選挙大敗北の一番の原因は、安部首相の驕りと甘えの二文字に尽きる。
今日首班指名を受ける福田康夫氏もその点を心して小沢民主党党首と対して欲しい。
向かい風に背を向けなければ必ず己が真に望む姿に行き逢えるものと信じる。
福田総裁は安部前総理の撤を踏まず、そこらを悟り大所高所に立って獅子奮迅の働きをして欲しい。
何を悟るかは「言志四録」の晩録204条に「薬物。甘自苦中生者多有効。人亦閲歴艱苦。則思慮自濃。恰好済事。与此相似。(薬は甘味が苦味の中から出て来るものに多く効能がある。人も同様に艱難辛苦を経験すると、考えが自然に細かになり、よく物事を成就する。これとよく似ている。)」又、耋録33条に「得意時事多。失意事少。其人減知慮。可謂不幸矣。得意事少。失意事多。其人長知慮。可謂幸矣。(思い通りが多く、失意の事が少なければ、自然に考える知恵が減少してゆく。実に不幸といわなければならない。これに皮して、思い通りが少なく、失意の事が多ければ、何かと苦慮するから、智慧や思量が増えて行く。誠に幸いである。)」とある。
これまで小泉元首相の獲得した多数で、苦労無くして政権運営が可能であった。
詰り、安倍前首相は知恵の無い政権運営であったと言える。
逆風で辛苦を経験して、首相が続ける事で知恵や思量が増え、考えが自然と細やかになり良き政治を実現できる事を福田新総裁に願うものだ。
雌伏し、学び、只管耐えて、名宰相になる志を強く持って欲しいものだ。
松岡前農相のように自殺に逃げたのでは志が低いだけで何にもならない。
こういう学問を心得てこそ次代を担えると言うものだ。
子供達に次代を担えるよう制度改革をしなければならない。
真に教育改革を行い、日本の恵まれた類まれな1万年に及ぶカルチャーの連鎖を宝に変えようではないか。
長く続いた前書きも全て書き終えた。
何を教えるかの結論は秋山好古のように生きうる能力を教える事に他ならない。
与えられた環境で自身の能力を精一杯吐き出して、真似ではなくその場で必然と思われる事を自身であみだし、余力で継続してやり続ける能力である。
現在、できる人は数少なく思われる。
1流人は皆やっているのだが、よく目に付くのはイチローであろう。
環境に合せてよくやっている。欲深い人なら金持ち球団にさっさと行くのだろうが見事に環境に合せて我々を楽しませてくれている。
イチローのように格好良く生きることができたらどんなに良いだろう。
筆者は好古にその格好良さを小説「坂の上の雲」から感じた。
その時に、何が彼を造ったのか調べようという意欲に駆られた。
先ず行ったのは子規記念館だ。
そこで好古の学んだ明教館で彼がどういう事跡があったかという記事を見つけた。
そこで気が付いたのが四書五経の素読だ。
好古は明教館で四書五経を下級生が素読するのを聞き、それを添削する所まで修了している。
10才でそこまで進級するのはよほどの秀才であったらしい。
その頃、人から薦められて「言志四録」を読みかけていた。
それに江戸末期の空気を感じた。
縁は不思議なものである。
まるでこの書き物をする予定になっていた如く全ての歯車がここに集約した。
「言志四録」を貫く主張は以下の通りだ。
1、 人間は天と地から初めから五倫(仁・義・礼・智・信)を持って生まれ出てくる。
2、 世の為になろうという気概で志を立てて学ぶ。
3、 人間以外の諸物やその運動と成立ち及び自身の内面や経験から学ぶ事が重要。
4、 全てを天命と受入れ、何に対しても「誠」「敬」で望むが肝要。
避けて避け得ない不運を避けたとしても、次に何等かの不運が替りに来るものだ。
その不運を逃げず、学び糧とする態度が大切だ。
故に、来る縁は全て受入れ、それに対して自身そのもの詰り五倫で対処する。
その時に心掛けねばならない事は、驕慢しがちな自身を他人の目で評価し、何事につけても控えめにし、相手に対しては敬意を払うようする事だ。
それを細々と1133ヶ条に亘って箴言を書き連ねている。
それを空気とした時代に好古は少年時代をすごし、あの格好よさを手にしたのだろう。
話を我々自身に帰る。
ここに我々が存在すると言う事ですら奇跡だ。
太陽系における地球の位置、大きさだけでも奇跡だ。
恐竜を筆頭に様々な種が絶滅しているが、最近そういう我々が死絶えるような危機がおきていない。
その中で日本には1万年に及ぶカルチャーの連鎖があるという奇跡に感謝しよう。
無論、その結果である江戸末期の空気は教育基本法第1条でいう所の人格形成のみである。
志を立てて、世の役に立つ為には現代の潮流を学ばねば何にもならない。
ITのみならず、果てしない宇宙の先までハップル宇宙望遠鏡で調べ、生きたままの状態にあって脳のシナプスに情報伝達物質が伝わるのを確認できる科学技術を我々は持った。
60数年前までは、原子爆弾しか作れなかった量子力学は化学及び生物学に応用されバイオテクノロジーやオプトテクノロジーを生出し、近年では新素材ラッシュでもある。この流れは速まりこそすれ停滞する事などあり得ない。
過去の情報も然りだ。
情報量は日増しに増大する一方だ。
この増大する情報洪水の中で1人ひとりに役立つものだけ抜出して役立たせねばならない。
そこで期待される教え方で提唱したやり方になる訳だ。
明治の初めには日本人は漢文に対して読解力があり、熟語さえ作れば新しい概念はひとりでに民衆の中に溶け込んだ。しかし、今の日本人には漢字を読める人は殆ど居ないに等しい。漢字熟語に代わるものとして日本に誇るアニメ技術がある。これを使わない手は無い。
妊娠してから2才までは産婦人科にコーディネーターを置けば良いだろう。義務教育であるからせめて週に1度くらいは通院し、e-ラーニングのチェックを受ける。試験しても良い。e-ラーニングの機器は原則貸与するものとする。
3~5才に教える人格教育にしてもアニメに編集して概略を映像で刷込ませ、指導者が1人ひとりの個性に合せて教え込んでいけば良い。指導者用のマニュアル作成にこそ言志四録を参考にすればよいだろう。そのマニュアルを元に指導者の個性に合せて人格形成が為される。当然、数学・国語は人格形成に入っており、指導者から教えられる。
情報洪水にしても、期待される教え方ではNHKの10minでもと提案したがアニメを編集しても良いだろう。この3~5才の間に理科・社会の教科概要を理解させるのが最良と考える。
その子の嗜好に合せて好きなものを決めそれに合せて実行していくのに必要な科目を決めて6~10才の間に修得させる。この修得には基本的に独習でe-ラーニングを使い、その節目毎にウェブ上でマスター出来たか否かもチェックする。当然、国語・数学・道徳も同様に行う。又、体育・芸術は夫々選択し、指導者が付いて行う。必要に応じて実験も入ってくる。
かくして義務教育は終わる。
このコンテンツ製作は多くのジャンルが参加する共同作業となる。
押えるべきは意思決定の速さに他ならない。
コンテンツに採用するのに時間を掛けていると如何に良いテーマでも古びて使い物にならない危険性がおおいからだ。
この教育方法で教えれば、卒業時点での各児童の学力は大幅に異なるだろう。
ひょっとして一番進む児童は修士論文位書いても可笑しくないと考えている。
夫々が最高の学びを実現するだろう。
これに一番力を発揮するのが3~5才において世の姿を見せ、「世の役に立ちたい」という強い願望を持たせる事だ。
この教育制度を修了した人たちが多くなる時、夫々の分野においてイチローになった人が数多く輩出する事を想像するのは楽しい。
その時には、毎日のように起きている破廉恥犯罪は痕跡も見せなくなると信じてやまない。
ここでは文明の転換点に当って、あるべき教育制度を考えて行きたい。
科学の進歩は目覚しく早い。
この社会で足を地に付ける為には全て知っておく必要がある。
無論、絶対時間内に教えるので選択して教科書に掲載されている。
結果、均一教育において、教師が学ばねばならない事象が等比級数的に増えてくる。
ここらが近年学校で起きている対応できない教師が発生する要因だろう。
単純に考えよう。
要はITに任せてしまえるものは任せ、教師は人間でなければ対応不能な事のみにしてしまえば負担も減り、問題解決に繋がると考える。
義務教育は妊娠した事が分ってから10歳位が良いと考える。
「人とは何だ」で紹介したように健全なXシステムを育てる事を最優先にすべきだ。
情動とでも言うべきこの回路の健全性如何で人間性のあらかたの骨格が決まってしまう。
年限が2才のこの過程では当然母子共々教育を受ける事になる。
登校は週一度で、その時に進捗チェックを受ければ良い。
後は決められたカルキュラムを家庭でe-ラーニングを受講すれば良いのだ。
殆どの科目はe-ラーニングに切替えるべきであろう。
国語と数学に芸術及び体育は人間が教えねばならない。
最初の2教科だけは他の科目を総合的に記憶の中に整理するツールでもあるので、この科目無しに、他の科目を教えても仕様が無い。
それを現在は欲張っているからあぶはち取らずとなって、大きなコストを掛けて悪くしている事に気付かねばならない。
又、後の2教科は先の2教科の助けも借りて情緒及び体作りに欠かせない。
先の2科目については3才位から教師1人に3~4人位のクラス編成で教えるべきだろう。年限は5才でどうだろう。
教師は今ある保育園の延長のようなものだから保育士に数学・国語の専門教育を付加させれば良い。考えねばならない事は、基礎の重要性をこの時期に教え込む事だ。確りした基礎の上に様々な学問が習得されてこそ運用力がつく訳だ。丁度、職人が丁稚奉公を良い親方の元で修行し、その親方から修了を認められてこそ良い仕事が出来るようになる事を思い浮かべて欲しい。その過程を如何に疎かにしているという現実が現代の日本を行詰らせ、パニクッている事を重視しよう。それを教え込むにも3~5才位が良いようだ。歌舞伎役者を見ても分ろうというものだ。
それと将来の職業選択もこの時期に決めるべきだろう。その職業選択教育に必要なメディアはNHKの10minあたりで良いと思う。そこら英知を結集し、修正もしていけば良いだろう。この時期に職業選択をしておけば、次のクラスに移った時の個別学習プログラム製作に役立つ。
次のクラスは6~10才迄だ。
これまでのクラスでは全員殆ど同じプログラムで進んでくる。唯、3~4人の少人数の為、各個人別に1人ひとり個別の進捗度合いで学習は進められている。
このクラスではこれ迄の修得状況から個別に学習プログラムが作成される。又、殆どの学習が自分の意志で勝手に段階を追って学習する事になる為、進捗度合いは個人によって大きく異なるようになる。10才を修了する頃には現在の大学の卒業研究あたり迄進む者も出てくるし、現在の教育のように全員が同じ科目を修了するのでは無く、職業選択に必要な科目のみプログラムされていて、その科目毎に段階を追って修了に値するかどうかテストしながらあがるので現在のように理解して無くても卒業するという状況がなくなると考えられる。
唯、差別に繋がる恐れが無くも無いが、卒業時等級は必要だろう。
努力したものは評価されるべきで、下手な平等論は百害あって一利なしだ。
11才になれば企業を試みる子供たちも多く居るのではと想像する。
後は、卒業時の成績により補習校(現在の職業高校及び専門学校)に進むか高校(現在の大学院)に進むかその侭職業に就くかの3通りに分かれる事になる。
個別教育であるので現在の特殊学級等の心配は要らない。それにこのやり方で教育できれば全員が持つ才能を悉く引き出せるという事で現在の勉強嫌いがなくなる事が一番の収穫だろう。真の落ち毀れが居ないという事は、不良も居ないしやくざも居ないという事だ。全員が世の為、人の為にその個人の持ちうる能力を最大限使い、充実感に満ち溢れ働くという次第だ。
取合えず、1つの叩き台になればという事でモデリングした次第だ。
参考にして欲しい。
一貫して敬の重要性を説いている。
敬は他者に対しては「うやまい」であり、自身に対しては「へりくだり」を意味する。
これは自身で己を論じるのに、他者の目で評価すると考えると分り易い。
我々は前頭葉で全てを評価する。
他者に対する認識は自身の五感を通じて評価したものしかない。
詰り、自身に対する認識の数千分の一しか認め得ないのが他者なのだ。
他者の目が仮に実現したとすると今思っている自己評価に要した情報量が数千分の一で評価する自己が分るということだ。詰りは、他者を敬いぬいて自身を謙りぬいて初めてバランスが取れ、自身と他者が同じ敬という考え方を持てば協力し合えるという訳だ。
一斎は言志四録の中で敬について地の徳、心の中和、勇気、誠、精神一統、躁ならず静ならず、交際の要道、甲冑、接物の工夫と九つの姿を持たした。そして敬を持つ事により、百邪に勝ち、火のように燃え盛る心を鎮め、聡明・心精明を生ぜしめ、過無く、心広く、動静貫いて物を鎮め、情が向かい、身強健、経営心の防止の効用を挙げている。
言志録で論じるその他の戒めを見てみよう。
天に遣えるという心を持ち、己のみを頼りとし、古今第一等の人物たる気概を持つが大切。
自負心を持つと離れると言う天は魂と道義であるから人間の本分であり性分でもある。
信用を得、必然を大切にし、全てを受け入れ、私欲なく公欲を持ち、人情に厚く、逆境に遭っても逃げず、難しい事は機会を待ち、分を知り足るを知って調子の良い時は退く工夫が大切だ。
その為に慎独より始めて誠を動かし敬に至る。
その時に大切な事は志を持ち、情に従って情を制して欲を達して欲を遏(とど)め、口を慎む事だ。
志を持てば、小事にも学びがあり、大切にする。
良いこと尽くめだ。
身は親から授かったものであるから三代以上の意思を持ち、面は冷たく背は暖かく保ち、精神は背に棲まさねばならない。
人を諌めるには誠意より他無く、自ら厚く責め人は先ず認め薄く責める。
理あっても言に激・強・挟・便あれば人を服させ得ず、自身で服してみて考える。
等々。
後録になると少し経験が入り、晩録は流石に自身の言葉が多くなる。
耋録では立志の重要性から入る。
「私欲之難制。由志之不立。(自分の欲望を我慢するのが難しいのは、志が立ってないからだ。)」
私欲は志を立てて抑えることが出来る訳だ。ではどうすれば志が立つのだろう。
「立志工夫。須自羞悪念頭起跟脚。(どう志を立てるかは、先ず自分の不善を恥じ、人の不善を憎む羞悪心から始めねばならない。)」
自分の不善を恥じ、人の不善を憎むという羞悪心から学ぶ心が起きる。
ここで初めて教育が担うべき役務を与えられる事に気づかねばならない。
心掛ける事は「立志。要高明。(志を立てるには見識が高く智慧が明らかが必要。)」
ここで一斎は志の運用について懇切に7項目を割いて述べている。
教育は不善が何者かという命題から教え、学ぶ心の育みを最初に為すべきと主張したい。
次に心眼でないと見えないような自身の環境の基でどう対処すれば良いかを20か条に亘って述べている。
例えば、「得意物件。可懼。不可喜。失意物件。可慎。不可驚。(望み通りで満足する事案は、恐るべきで喜んではいけない。上手くいかない事案は、振返れば良いだけで驚く事はない。)」だが、言われてみればその通りで通常この反対を実行して、それによって悪循環を生んでいる事実をよく考えれば一斎の言で断ち切れるように感じる。
次に活物としての敬の姿についての締め括りとして10か条に亘って述べている。
その後は、細かくどういう時に何をするかという心構えを57か条に亘って述べている。
最後に、老人の心構え20か条で締め括っている。
この生き方そのものに新渡戸稲造が紹介した「武士道」や西田幾多郎の「善の研究」の本質を見る思いがする。
我々が今、無くしたと思い、探している日本人の精神的支柱がここにあると感じるのは筆者のみではないであろう。
:: 次のページ >>
このブログでは松山市で行われている街作りの基礎となる小説「坂の上の雲」から本来日本人が持っている魂及び運用力を探ります。 そこには明治の空気を感じるのは筆者のみでは無いと信じます。 それを誘う1万年に及ぶカルチャーの連鎖から武士道に収束される日本人気質を求めます。 最後に教育を政治や公務員制度改革等のフレームワークも含めて論じます。 筆者はイチローと秋山好古をダブらせて見ています。 その秋山好古に学ぼうとする「坂の上の雲の街作り」に期待する1人でもります。 願わくば、特区として選挙制度改革や公務員制度改革までこの政策が進む事を願うものです。
:: 次のページ >>